過去からの抵抗

戦前戦中・敗戦直後の人々の反戦・不敬発言を紹介。

発言の主体、「庶民」について…

Botを更新する中、いつかは扱いたいと思っていた事。

それは、不敬・反戦発言の主体である人々とは何だろう?と言う事。

 

Botが主に扱っている不敬・反戦発言は、特高月報の中では主に「不敬・不穏事件並に反戦反軍事件調」と言う小項目で扱われているが、1937年に支那事変が始まった際には「支那事変に対する左翼分子の動静」と言う項目であり、度々扱いが変っている。社会共産・無政府主義に絡めた発言も多いが、全く思想性の無い市井の不満的な発言もここに含まれている(これは戦争末期になるほど多くなる)。特高月報が市民の発言を主体的に集め始めたのは支那事変勃発直後の1937年7月(前年の226事件の際にも流言を集めている)からだが、戦争の勃発に伴い特に市井の市民の反戦発言にも目を光らせることになったのだろう。

特高月報にある発言内容は、特高警察が密告や張り込み等からそのまま捉えた物だ。方言や下品な言葉もそのまま収録されている。天皇制や戦争への反感を感じながら、中国・朝鮮人や被差別部落の人々への差別を平行して行っていた人もいるだろうし、夜中に出征兵士を見送ろうと出てきた女性たちに「夜中に女が出歩くな」と言い放ちそれが反軍言動扱いされた男性の例も出てくる。

当時の、体制への不平・不満を抱えながらもしかし権力や戦争遂行に強く抵抗すると言う訳でも無い、100%加害者よりでは無いがしかし被害・差別について特に意識している訳でも無い、ただちょっとした発言や皇族への幾分下品なゴシップ的興味(皇后のオメコはどうなってるんだ?大正天皇は頭が弱かったんじゃないか?みたいな)の為に捕まった数多くの「庶民」の姿がそこにある。

 

ちょっと期待はずれだろうか?もう少し…「奥崎謙三」的な人々が大勢いる様な状況を想像した人もいるかも知れない。だが、わずかでも「人殺し」である戦争への抵抗の意思を持っていたり、あるいは天皇制のおかしさにも「あいつら、俺たちとあんまり変らないね」とレベルでも思考が出来る人々は、それでも「わずか」だったのだ。大多数の、全くの「臣民」はこの月報には載りもしないのだから。

勿論、主体的に戦争と差別、そして天皇制に抵抗した崇高な市民も更に数は少ないが存在する。

 

1975年に太平出版社より出版された「昭和特高弾圧史 5 庶民に対する弾圧」の巻頭解説では、発言の主体についてこう定義付けている。

(太字管理者)

「 この巻には、特高警察の庶民にたいする弾圧の記録を収録した。記録の中心は、反戦・反軍言動や流言や不敬言動で逮捕されたり投獄された無名の庶民たちにかんする資料である。この『昭和特高弾圧史』(全八巻)は、特高警察の弾圧対象となった四つの階層にかんする記録によって構成した。第一は知識人(共産主義者や自由主義者)、第二は朝鮮人、第三は宗教人、そして第四は庶民にたいするものである。

 第四の庶民にたいする弾圧は、市井の大衆にたいする弾圧である。『庶』という字は、多いという意味と第二次的ないしは低いという意味をふくんでいる。『人民』が支配階級と闘う人びとであり、『臣民』が天皇の命令に服従して死ぬ人びとであるとすれば、『庶民』はそのどちらでもないが、まったくいやいやながらも天皇の命令にしたがったという意味で、臣民大衆に近い存在といえる。

 知識人、宗教人は、天皇が火をつけた侵略戦争にたいして、みずからの思想と信念によって判断し、便乗したり、屈服したり、転向したり、少数の人びとは最後まで闘った。庶民は、そのようなみずからの思想や信念をもたなかった。かれらはいつもだれかに指導される大衆であった。…」

 

 

やや辛めに書かれているが、この見解が正しいように私には思える。

 

庶民の発言を前にして、そのおかしみに笑ったり、わずかながらの抵抗の萌芽を感じ取ったり、更に少数の本格的な抵抗者から学び取ったり、色々と読み方はあるだろうが、発言の主体については心に留めておく必要はあると思う。

たとえ発言者が「臣民大衆に近」かったとしても、この時代の状況、重圧に対して口を開いた人々への敬意や、またその抵抗の萌芽 を汲み取っていくことは出来る。

ましてや、今の時代、(上品・下品さは置いといて)この「庶民」達より更に権力に抵抗出来ない人も多いのではないか…?

 

落書・張り紙と言った形態についても語りたいが、それはまた別の日に。